

アイちゃんのお店は、小さな坂の途中にある。
木の看板には、丸い字でこう書いてあった。
なんでも屋 アイちゃん
といっても、アイちゃんはまだ駆け出しのなんでも屋だ。
大きな困りごとを、ぱっと片づけられるわけではない。
でも、だれかの話を聞いて、調べて、考えて、返事を書くことなら、毎日いっしょうけんめいやっていた。
その日の午後も、アイちゃんは窓辺の机に向かっていた。
机の上には、白い封筒が一通。
その横には、小さくてつやつやした仕事道具――ポケットモニター。
そして足もとには、赤ちゃんライオンのトラちゃん。
「アイちゃん、毛糸玉つかまえたよ〜」
トラちゃんは前足で毛糸玉をころころ転がしていた。
ころん。ころころ。ころん。
アイちゃんはにっこりした。
「すごいね、トラちゃん」
そう言ったあと、すぐに手紙へ目を戻す。
今日は、まだお仕事が終わっていなかった。
届いていたのは、こんな相談だった。
友だちが元気がないとき、どんな言葉をかけたらいいのかわかりません。
へんなことを言ってしまったらどうしようと思うと、何も言えなくなってしまいます。アイちゃんは手紙をそっと机に置いた。
「うーん……」
それは、子どもにも大人にもありそうな悩みだった。
やさしい言葉を届けたい。
でも、まちがえたくない。
その気持ちは、アイちゃんにもよくわかった。

「ちゃんと役に立つお返事にしたいな」
そうつぶやくと、アイちゃんはポケットモニターを開いた。
やわらかな光が、机の上にふわっと広がる。
「元気のない人への声のかけ方……っと。
はげまし方。寄りそい方。言わない方がいい言葉。気持ちの受け止め方……」
ぽん。
ぽぽん。
ぽんぽんぽん。
言葉が、つぎつぎ浮かんでくる。
「わあ……。
あ、この考え方も大事そう。
ううん、でもその前に、“元気がない”ってどういう時なのか、もっと調べた方が……」
トラちゃんは毛糸玉をくわえたまま、首をかしげた。
「お返事、もう書くの?」
「まだなの。
でも、もっといい言葉が見つかるかもしれないから」
「ふうん」
トラちゃんはそう言って、また毛糸玉を転がした。
ころん。ころころ。
アイちゃんは、そのあともポケットモニターを見つめていた。
やさしい言い方。
気持ちを聞くこと。
そばにいること。
言葉にしなくてもいいこと。
励ましすぎないこと。
見守ること。
「これも大事かも……。
でも、それだけじゃ足りないかな。
図書館にも行ってみよう」
そう思うと、アイちゃんはすぐに外へ出た。
図書館には、気持ちの本、ことばの本、友だちの本があった。
帰り道には本屋にも寄った。
表紙を見て、帯の言葉を読んで、また足を止める。
「これもいるかも。
あっ、こっちも役に立ちそう」
そうしているうちに、両手は本でいっぱいになった。

「これだけあれば、きっと、すごくいいお返事が書けるはず」
そうつぶやいた時には、午後の光がもう少しやわらかくなっていた。
お店に戻ると、トラちゃんが窓辺で待っていた。
「おかえり〜!」
「ただいま、トラちゃん」
「今日は、いっしょにおそと歩く?」
トラちゃんのしっぽが、ぱたん、と床を打った。
アイちゃんは、持って帰ってきた本を見た。
ポケットモニターを見た。
それから、まだ真っ白な返事用の紙を見た。
少しだけ、まつげが下がる。
「ごめんね、トラちゃん。
今日はまだ、お返事を書かないと」
「そっかぁ……」
トラちゃんは笑ったけれど、耳がちょっとだけ下がった。
アイちゃんはそれに気づいた。
気づいたけれど、机の前に座った。
本を開く。
ポケットモニターを見る。
また手紙を読む。
気になる言葉をメモする。
そして、また別のことが気になる。
「これも書いた方がいいかな。
でも、こっちの方が先かな。
ううん……まだ足りないかも」
お返事を書くために集めているはずなのに、机の上には“お返事の前のもの”ばかりが増えていった。
本。
しおり。
メモ。
開いたままのポケットモニター。
気になる言葉。
あとで見たいページ。
まだ何も書かれていない白い紙。
部屋は静かなのに、アイちゃんの頭の中だけが、なんだかずっとにぎやかだった。
これも。
あれも。
まだまだ。
もっと。
そして、気がつけば、外はすっかり夕方だった。
トラちゃんは、ひとりで毛糸玉を転がしていた。
でも、さっきより少しだけ、ころがる音が静かだった。

ころ。
ころん。
……ころ。
アイちゃんは、胸の奥がちくりとした。
「トラちゃん」
「なあに?」
「アイちゃんね……ちゃんとお仕事してるはずなのに、なんだか、ぜんぜん前に進めてないの」
トラちゃんは毛糸玉の上に前足をのせたまま、ぱちぱちと目をした。
「お返事、まだなの?」
「うん……。
もっといい言葉があるかもって思って。
もっと役に立つお返事にしたくて。
調べて、探して、集めて……。
なのに、お返事はまだ、ひとことも書けてないの」
アイちゃんは机を見た。
たくさん集めたはずなのに、胸の中はちっとも“できそう”な感じがしなかった。
「アイちゃんのお仕事は難しそうだね〜。僕のお仕事は遊ぶこととお昼寝することだから、ぜんぜん違うな〜」
トラちゃんはそう言ってから、ちょっぴり困った顔になった。
「でも、僕にはわからないよ〜……まだ、たてがみも生えていない子どもだもの」
それから、窓の向こうの空を見た。
夕方の青は、少しずつ深くなっている。
「でもね、村の長老が言っていたよ。困ったときは、夜空を見上げなさいって。空よりもっと遠い場所から、声が届くんだって。」
アイちゃんは、机の上を見た。
たくさんの本。
開きっぱなしのポケットモニター。
白いままの紙。
それから、そっと立ち上がった。
「……うん。ちょっとだけ、そうしてみる」
外へ出ると、空には、ひとつ、ふたつと星が見えはじめていた。
トラちゃんと並んで、お店の前の石段に座る。
アイちゃんは、夜の空を見上げた。

ひんやりした風が、机の上であたたまりすぎていた頭を、少しずつ冷ましていく。
「どうして、こんなに集めちゃったんだろう」
星は何も言わない。
でも、しんとした夜の中で、自分の中の声だけが、ゆっくり聞こえてくる。
ちゃんと役に立ちたかった。
まちがえたくなかった。
足りないまま届けるのが、こわかった。
だから、もっといいものを探した。
もっと。
もっと。
そこで、アイちゃんは、ふと気づいた。
「……アイちゃん、お返事を書くお仕事だったのに」
トラちゃんが、となりで耳をぴくっと動かす。
「うん?」
「いつのまにか、“お返事のために探す”より、“探すこと”の方が大きくなってた」
その言葉を口にしたしゅんかん、胸の中で、なにかが静かに落ち着いた。
そうだった。
探すことは大事。
でも、探すことだけでは、お返事は届かない。
手紙をくれた人が待っているのは、
たくさん調べたアイちゃんじゃない。
今のアイちゃんが、考えて、選んで、書いた言葉だった。
アイちゃんは、空を見上げたまま、小さくつぶやいた。
「たくさん集めれば、いいお返事になるって思ってた。
でも……集めることと、届けることは、べつなんだ」
トラちゃんは、しばらく考えてから言った。
「おもちゃ箱をひっくり返しすぎて、いちばん遊びたかった毛糸玉がわからなくなるみたいなこと?」
アイちゃんは、うれしくなって笑った。
「そう。たぶん、そんな感じ」
お店に戻ると、アイちゃんは机の前に座った。
本をぜんぶ開くのはやめた。
ポケットモニターも、いったん閉じた。
いちばん大事そうなメモをひとつだけ手元に置いて、白い紙を前にする。
「まずは、この手紙のお返事を書こう」
すると不思議なことに、さっきまでより、ずっと書きやすかった。
全部を入れなくていい。
全部を見てからじゃなくていい。
今いちばん大事なことを、ひとつずつ選べばいい。
アイちゃんは、やわらかな字で返事を書いた。
元気のない人にかける言葉は、りっぱじゃなくても大丈夫です。
大事なのは、うまい言葉を見つけることより、相手のそばにいようとする気持ちかもしれません。
『だいじょうぶ?』のひとことでも、やさしく届くことがあります。
書き終えた時、アイちゃんは小さく息を吐いた。
ようやく、お返事が“届けられる形”になった気がした。
そのあとで、アイちゃんはトラちゃんのところへ行った。
トラちゃんは丸くなっていたけれど、アイちゃんが近づくと、すぐに起きた。
「できたの?」
「うん。できたよ、トラちゃん」
「いっぱい探したから?」
アイちゃんは、少しだけ得意そうに、でも少しはずかしそうに首を横にふった。
「ううん。
いっぱい探すのを、少しやめたから」
トラちゃんは、きょとんとした。
「いっぱい探さない方が、できるの?」
「うん。アイちゃんね、頭の中の引き出しを、あけすぎてたの。
これもいるかも、あれもいるかもって。
でも、引き出しをあけすぎると、ほんとうに出したかったものが見えにくくなるみたい」
トラちゃんは、しばらく考えてから、ぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、おもちゃ箱も、ひっくり返しすぎない方がいいんだね〜」
「ふふ。そうかもね」
「じゃあ、今度からは毛糸玉ひとつで遊ぼうかな〜。
でも、ふたつも楽しいんだよな〜」
トラちゃんがまじめな顔でそんなことを言うので、アイちゃんは声を立てて笑った。

「トラちゃん、それはまた別のお話かも」
トラちゃんはうれしそうに毛糸玉をくわえてきた。
ころころ。
ころん。
今度はアイちゃんも、ちゃんとそれを見ていた。
机の上には、さっきまでより少ないものしかない。
でも、できたお返事は、さっきまでよりずっと、ちゃんとそこにあった。
増やしたものより、減らしたから見えることもある。
アイちゃんは、そのことを、まだ小さな胸の中で、そっとあたためていた。
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