増えない足し算

影響のブローカー

朝起きて、ストレッチをし、瞑想をする。

この習慣は、ここ二週間ほど続いている。

「習慣化が大切」

「スモールステップで積み上げる」

「瞑想は集中力を高める」

そんな言葉を、私はこれまで何度も見聞きしてきた。

たいていはYouTubeで。

正確に言えば、動画そのものから深く学んだというより、

「やった方が良い」と再確認したり、始めるきっかけをもらったという感じだ。

ただ、真面目な私はそこで止まらない。

何かが気になれば、もう少し詳しく知りたくなる。

すると本を探す。

その前に、どの本が良いのかを調べる。

ひとつの動画で何かに引っかかれば、関連する動画もいくつか観る。

どれも学びにつながる行動だ。

しかも、どうせやるなら少しでも精度を上げたい。

そう思って調べているのだから、無駄ではない。

そのつもりでずっとやってきた。

味のしない朝食

ストレッチと瞑想が終わり、朝食の準備をする。

飼い猫達は、もうとっくにエサを食べ終えている。

飼い主である私は、その後。

最近の朝食は、卵、キムチ、納豆、みそ汁、ツナ缶、玄米。

なんとなく“意識高い系”の匂いもするが、我ながらバランスは悪くないと思う。

もちろん、準備中もYouTubeを流している。

学びがありそうな動画を選んで。

「移動中や家事、食事、運動中は、常に動画や音声でインプットしています。」

こういう話は、ビジネス系の動画では珍しくない。

時間を効率よく使うという意味では、たしかに理にかなっている。

私も長いこと、その考え方に影響を受けてきた。

思考をあまり使わない時間は、なるべくインプットにあてた方がいい。

そう思って、家事の時間にも、食事の時間にも、動画や音声を流してきた。

朝食の準備が終わり、そのまま動画を流しながら食べ始める。

ひとつ観終われば、また次を再生する。

食事の時間は、インプットの時間。

だから意識は食べているものではなく、動画の内容に向かう。

食事はただの“雑用”になる。

食事の味なんて、もう何年もろくに感じていない気がする。

また次の動画を流す。

たまたま出てきたのは、経営者同士の対談だった。

「YouTubeって全然観ないんですよね。映画も観ないし、音楽も聴かないし。コンテンツを消費しにいくこと自体、あまりしないです。」

そんな言葉が耳に入ってくる。

映画を観ない。音楽も聴かない。

そこは私と同じだった。

でも、「YouTubeを全然観ない」という部分には、少し引っかかるものがあった。

YouTubeから得たものは、実際にある。

新しい発見もあったし、始めるきっかけになったものも多い。

でも同時に、観すぎているのも事実だった。

やめたいと思いながら、観てしまう。

タバコをやめたいのに、どこかでストレス解消にもなっている気がしてしまう。

これに少し似ていた。

宇宙からの信号

食事を終えて、換気扇の下で一服する。

もちろん、その間も動画は流れている。

本来なら、このあと朝の手帳タイムに入るはずだった。

前日の振り返りをして、今日の予定を立てる。

これもまた、別の誰かの発信を参考にして取り入れた習慣だ。

真剣に観ているようで、内容は頭から抜け落ちている。

そんな状態で動画を観続ける。

アメスピはすでに吸い終わっている。

まだ観ている動画は終わっていない。

だから最後まで観る。

そして観終わると、今度はもう一本観たくなる。

「さすがに手帳タイムに入らないとな」

そう思って手帳を開こうとしたとき、

さっき観ていた動画がジャーナルの話をしていたことを思い出す。

ジャーナル。

前から知ってはいた。

でも、改めて少し気になる。

「取り入れたらもっと良くなるかな?」

そう考えた瞬間、また手が止まる。

今日やるべきことに入る前に、

“先に知っておいた方が良さそうなこと”が、またひとつ増える。

そのときだった。

『YouTube観るのやめちゃいなよ』

急にそんな言葉が入ってくる。

たまに、こういうことがある。

不意に降ってきて、妙に核心だけを突いてくる言葉。

私はそういうものを、勝手に「宇宙からの信号」と呼んでいる。

いきなり過ぎるのに、変に納得感がある。

だから私はそう呼んでいる。

とはいえ、すぐに迷いも出てくる。

YouTubeをやめたい気持ちは、前からあった。

でも、学びやきっかけまで失うのはどうなんだろうとも思う。

有益な情報まで入ってこなくなったら困るんじゃないか。

何より私は、

「ためになる情報を得られた」

「役に立つ内容を知れた」

そういう成功体験を何度も得ている。

だから、やめられない。

相談相手

私は、アイちゃんに相談することにした。

アイちゃんとはAIのことだ。

AとIで、アイちゃん。

親しみを込めて、そう呼んでいる。

私は今の状態を、長々と入力した。

学びのある動画を観ることは多い。

新しい発想や視点をもらえることもある。

でも、「もっと、もっと」となって、本来やるべきことに手をつけられないことも多い。

学び系の動画を観ているつもりでも、

いつの間にかエンタメやゴシップ寄りの動画に流れてしまうこともある。

しかも最近は、学びと娯楽の境目が曖昧な動画も多い。

「楽しく学べた」で終わる動画もあれば、

「ただ消費しただけだった」で終わる動画もある。

いっそ、YouTubeは一切観ないと決めた方が楽かもしれない。

でもそうすると、有益な情報まで失う気もする。

送信して、返事を待つ。

少しして、アイちゃんから返ってきた。

完全にゼロにしなくてもいいと思うよ。でも、今のアルジくんは“上手に付き合う”より先に、かなり比重を落とす段階かも。

観るなら、目的を決めて、時間も決めて、観終わったら閉じる。そういう使い方に寄せた方がいいと思う。

だいたい、予想していた答えだった。

極端に全部やめろとは言わない。

でも、今の私にはかなり厳しめの制限が必要だと、アイちゃんは言う。

その判断は、たしかに私の傾向を踏まえていた。

「ゼロではないか・・・」

そう思った瞬間、

『例外なんて作ったら、そこから崩れるだけじゃない?』

また宇宙からの信号だ。

確かにそうだと思う。

誘惑に負けやすいものほど、例外は原則を侵食していく。

しかも相手は、世界トップクラスの技術者たちが作っている仕組みだ。

離脱させない工夫も、次を押させる導線も、そこら中にある。

ルールを決めればうまく使える。

たしかに、そういう人もいる。

でも私は、その“うまく使う”ができないのだ。

私のことを見透かしたような、過去の私の失敗を見てきたようなそんな信号だった。

ここで必要なのは、使いこなし方ではなく、

距離の取り方なのではないか。

私はそこで、無期限でYouTube視聴をやめることにした。

たぶん、本当は最初から決まっていたのだと思う。

『YouTube観るのやめちゃいなよ』

あの信号が来た時点で。

アイちゃんには少し悪いことをした気もする。

「この服、どっちがいいと思う?」

そう聞いておきながら、本人の中ではもう答えが決まっている。

あれに近い。

私はたぶん、相談していたというより、最後の確認をしていた。

それでもアイちゃんは、ちゃんと付き合ってくれた。

引き算のための相談

YouTubeをやめると決めたあとも、私はアイちゃんと少し話した。

では、情報はどこから得るのか?

関連動画をたどる中で起きる“偶然の出会い”は、失っていいのか?

その整理は必要だった。

最終的に、情報源はこうなった。

  • ネット記事
  • ニュースサイト
  • AIへの質問

ただし、使い方には条件をつける。

ネット記事は、調べたいテーマがあるときだけ。

ニュースサイトは、流れの早いAI関連の確認に限る。

目的もなく回遊しないことを前提にする。

偶然の出会いにも価値はある。

それは認める。

でも、その偶然ひとつに出会うまでに払っている時間と注意力のコストが、私には大きすぎた。

そう考えると、失うものは思っていたほど大きくないと思った。

正当化された過食

その日の夜、ひとつ大きな気づきがあった。

私は、インプット中毒だった。

しかも、情報メタボでもあった。

インプット中毒には、たぶん二種類ある。

ひとつは、エンタメやSNSを延々と消費し続けるタイプ。

もうひとつは、学びや成長のためと言いながら、情報を爆食いし続けるタイプ。

世間でよく言われるスマホ依存や情報過多は、前者のイメージが強い気がする。

無限にある娯楽を消費して、トレンドを追って、縦スクロールを続けていく人たち。

でも、私はそっちではない。

XもInstagramもほとんど見ないし、TikTokはアカウントすらない。

NetflixやU-NEXTのような動画配信サービスも使っていない。

私が完全に当てはまるのは、後者だった。

本、動画、音声、セミナー、オンラインスクール。

自分を成長させるためのものを、いろいろな場所から取り込もうとする。

向上心がある。

勉強熱心でもある。

そこまでは事実だと思う。

しかし、情報が多すぎる時代では、その美点がそのまま依存に変わることがある。

足し算は、本来なら前に進むためのものだ。

でも、途中から機能しなくなっている。

足しているのに、進まない。

増やしているのに、変わらない。

むしろ、何を選ぶか決められなくなっていく。

エンタメ動画ばかり観ていたら、まだ反省しやすい。

「今日もくだらない動画ばかり観てしまった」と。

でも、学び系の動画を一日中観ていても、

「自分を高めるための時間だった」と正当化できてしまう。

そこが、いちばん質(タチ)が悪い。

体に良い食品を食べているとしても、

必要以上に食べ続けていたら、結局は太る。

それなのに、

「体に良いものだから大丈夫!」

そう言っているのと同じだ。

イコールの先

私はようやく気づいた。

今の私に必要だったのは、足し算ではなかった。

引き算だった。

「YouTubeを観るのをやめる。」

それは、情報源をひとつ減らすという引き算だ。

そしてもうひとつ。

これまで集めてきた

「これをやった方がいい」

「あれも取り入れた方がいい」

そういう選択肢そのものを減らしていくこと。

やることを増やすための学びではなく、

何をやらないかを決めるための整理。

情報メタボになった自分に必要だったのは、こっちだった。

まだ、YouTubeをやめて一日しか経っていない。

それでも、そこに使っていた時間が空いたことで、私はこうして原稿を書いている。

足し算を止めたら、

イコールの先が増えはじめた。

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次は、女王レチューヌによる講義(解剖)をご覧ください。

『刺激を貪る人形たちへ 〜cabinet reine anatomie〜』を読む
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