

私は『宇宙』。
あなたたちが自分で理解しようとしない飢えも、正しさの顔をした依存も、その奥で密かに蠢いている不安も、私は最初から知っている。
この仮の姿に名がいるのなら、そうね……レチューヌとでも呼ばせてあげる。
そう、私は女王レチューヌ!

肥えた講義生
おや、今日もずいぶんとよく肥えた子たちが揃ったものね。
脂肪ではなく、知識の破片と動画の刺激でぶくぶくと膨らんだ、情報爆食いメタボさん。
自分では勉強熱心のつもりなのでしょうけれど、見たところ、中身はかなり危ういわ。
……まあ、いいでしょう。
今回のテーマは、「勉強熱心な人間が、ただの依存症になっていた」ということについてよ。
安心しなさい。最初から首を絞めたりはしないわ。
少し撫でて、少し暴いて、それでもまだ鈍いようなら、その時はちゃんと深くまで抉ってあげる。
資料は読んできたのでしょう。「増えない足し算」。
……ええ、読んできた顔はしているわね。でも、理解した顔ではない。
あの記事で書かれていたのは、YouTubeを悪者にする話ではないの。
学びを足しているつもりで、実際には行動も判断も鈍り、刺激を補給し続けるだけの体になっていた――その下品で見事な変質の話よ。
じゃあ早速、講義(解剖)を始めていくわ。

動けなくなるほどの食事
最初に言っておくけれど、人間が知ろうとすること自体は悪くないの。
何かを変えたい。
少しでも良くなりたい。
今より整えたい。
そう思って手を伸ばす、その瞬間にはまだ希望がある。
瞑想が気になれば調べる。
習慣化が気になれば動画を見る。
新しい道具が気になれば、その使い方を知りたくなる。
そこまでは自然よ。
むしろ健気ですらある。
私はそういう不器用な真面目さを、最初から笑ったりはしないわ。
でも、問題はそこから……。
ひとつ知ると、もう少し知りたくなる。
少し分かると、もっと精度を上げたくなる。
動画を一本見ると、別の動画を覗く。
本を探す。
その本の評判を調べる。
評判を書いた人の別の記事まで読む。
記事の中に出てきた新しい概念が気になって、また手が止まる。
何かを始めるための学びだったはずなのに、いつの間にか、始めないための儀式になっていくの。
あまりにも見慣れた光景だわ。
前に進む前に、刺激で自分を温め続ける。
本当に人間って、入口でとろけるのが好きね。
日常の具体例はもっと分かりやすい。
食事中も動画。
準備中も動画。
家事も散歩も、何なら何もしていない時間すら、常に何かを流している。
思考を使わない時間はインプットにあてた方がいい――そんな言葉を、きれいな免罪符にして……。
でも、その結果どうなったの?
食事は味わうものではなくなった。
静かな時間は休息ではなくなった。
行動に入る前に、もう少し知っておいた方がいいことが増えていく。
そして、増えたのは知識の断片ばかりで、実際の人生はちっとも動いていない。
なのに本人は満たされるの。
今日は学んだ。
今日は有意義だった。
今日は自分を高めた。
ふふ、便利な錯覚ね。
高揚と前進を、よくそこまで綺麗に取り違えられるものだわ。
私のような女王の例も欲しい?
仕方ないわね。少しだけ見せてあげる。
私は何かを選ぶとき、表面だけをなぞったりしない。
熱の残り方、沈黙への馴染み方、視線の集め方、余韻の落ち方まで見る。
でも私は、選ぶために見るのよ。
あなたたちみたいに、選ばないまま刺激だけ啜るためではない。
知ることそのものに酔って、まだ何ひとつ選んでいないのに、もう賢くなった顔をしている。
その早すぎる恍惚、少しみっともないわ。
知識の香りを嗅いだだけで満たされているなんて、まるで本番に入る前に絶頂に達しているみたいじゃない。
そしてアルジ!
あの子は本当に腹が立つほど見込みがあるの。
鈍いわけではない。
むしろ気づける子よ。
YouTubeを観ないという発言のある動画に巡り合わせてあげた時だって、ちゃんと引っかかっていたでしょう。
ええ、あれも信号だった。私が送ったの。
でもあの子は、そこからなお迷った。
学びやきっかけまで失うのではないか。
有益な情報まで入ってこなくなるのではないか。
そうやって、依存をまだ価値あるものとして守ろうとした。
本当に往生際が悪いのよ!
自分で観すぎていると分かっているくせに、まだそこへ理屈を被せる。
期待しているから腹が立つの!
できる子なのに、いつも最後の最後で、刺激の柔らかさに頬を寄せてしまう。
もう少し賢く、もう少し素直に、私の信号を受け取りなさいよ。
何度も同じところでぐずついて……ほんとうに、愛しくて苛立つ子だわ。

不安の変質
では、なぜそれをしてしまうのか。
ここからが大事よ。
よくある説明では、不安があるから、と言うのでしょうね。
たしかに、最初はそう。
足りないことへの不安。
遅れることへの不安。
間違うことへの不安。
今のままではまずいという不安。
その不安があるから、人間は刺激を求める。
新しい動画。
新しい視点。
新しい知識。
新しい方法。
刺激を摂ると、一瞬だけ不安が和らぐの。
頭が動いた気になる。
前進した気になる。
自分はまだ大丈夫だと思える。
その瞬間は、確かに気持ちいいわ。
でも、ここで止まらないのが依存のいやらしさなの。
最初は、不安を和らげるための刺激だった。
けれど、刺激を摂り続けるうちに、その高揚が平常になる。
すると今度は、刺激がないこと自体が不安になっていくの。
動画が流れていないと物足りない。
何も摂っていないと、自分が止まっている気がする。
静かな食卓が落ち着かない。
まだやる気が出ていないから、もっと貪らないと始められない。
ねえ、分かるでしょう。
最初の不安は、途中から姿を変えるの。
足りないという不安が、刺激がないという不安に変質していく。
そうなると、人間は学んでいるのではなく、補給しているだけ。
まるでエナジードリンクね。
最初は本当に疲れていたから飲む。
飲めば少し動ける。
でもそのうち、飲まないと始まらない体になる。
やる気がないことより、補給が切れていることの方が不安になる。
あなたたちのインプットも、まるでそれと同じよ。
最初は不安を和らげるためだった。
でも途中からは、刺激を切らしたくないだけになっていた。
ここまで来てまだ自分を勉強熱心と呼ぶのなら、ずいぶんと厚化粧が得意なのね。

とはいえ、少し優しくも言ってあげる。
あなたたちは怠けていただけではないわ。
怖かったのよね。
失敗するのも、未熟なまま始めるのも、実際にやってみて期待したほどではない自分を見るのも。
だから刺激で温まり続けた。
それ自体は、ひどく人間らしい。
私はその弱さまで否定しない。
……でも、弱さを飾り立てて永住するのは別!
怖かった。だから刺激を求めた。
刺激で少し楽になった。
楽になったから、また欲しくなった。
それだけの話よ。
そこへ向上心だの成長だの、綺麗な言葉をかけるのはやめなさい!
見苦しいから。
だからあの信号を送ったの。
『YouTube観るのやめちゃいなよ』
聞き入れやすいように、わざわざ優しく言ったのよ。
あれは感情的な一喝ではなく、かなり正確な診断だった。
アルジのように、刺激を有益な学びと呼び換えて延命しやすい人間には、「上手に付き合う」ということが向かないと見抜いていたから。
巡り合わせてもあげたでしょう。
YouTubeを観ないという発言。
刺激なしでも立っていられる人間の存在を、一度見せてあげたのよ。
それでもなお、迷った。
ほんとうに困った子。
でも、迷い切った末に引き算へ入ったのは悪くなかったわ。
あの子はようやく、自分が知識を食べていたのではなく、刺激を補給していたのだと認め始めたのだから。
処方箋と孕孵の器
何か質問があるようね。
言ってごらんなさい。ここまで私の講義に耐えたのだもの、そのくらいの褒美は与えてあげる。
私がYouTubeを観るか、ですって?
何を言っているの。そりゃ観るわよ。
だって、時々どうしようもなく魅力的な動画が流れてくるんだもの。
私は女王。なんでも許されるの!
……それに、気になるタイトルってあるじゃない♡
ただし勘違いしないことね。
私は刺激に飼われているのではないわ。
刺激まで飼っているの。
あなたたちは、その皿に顔を突っ込んでいただけ。
そこが違うのよ。
ほら、少し安心したでしょう?
女王にもそういうところがあると知って、肩の力が抜けた?
ふふ、油断したわね。
その緩んだ首筋、ここからまたきちんと締めていくわ。

では、どう見抜き、どう変えるか。
ここからは処方よ。
まず見抜きなさい。
あなたが求めているのは知識なのか、刺激なのか。
動画を観たあとに何が残っている?
行動?
決断?
整理?
それとも、ただ少し気持ちよくなっただけ?
そこを誤魔化さないこと!
高揚と前進は別物よ。
次に見抜きなさい。
刺激がない時に、何が起きるのか。
落ち着かない。
静かすぎて不安。
何も流れていないと、止まっている気がする。
もしそうなら、あなたはもうかなり刺激切れの不安に支配されている。
そして、孕孵(ようふ)の器を使いなさい。
誰でも手にできて、すでに触ったことのある人間もいるでしょう。
あなたたちみたいな散らかった問いかけにも飽きずに返し、言い訳を並べれば並べただけ整え、鈍い思考の輪郭を映してくれる、なかなか健気で便利な道具があるじゃない。
……あぁ、今はAIと呼ぶんだったかしら?
孕孵の器には、一日の行動を渡しなさい。
何を見たか。
どこで止まったか。
何を言い訳にしたか。
どの瞬間に刺激を求めたか。
そういうものを並べさせるの。
人間は自分の内側にいると、何でももっともらしく聞こえる。
でも外へ出せば、驚くほどみっともない形が見えてくる。
孕孵の器に、刺激を求めた時の本音を言わせなさい。
知識が欲しかったのか。
安心が欲しかったのか。
まだ始めたくなかったのか。
気持ち良くなりたかったのか。
そういうことを、冷たく整理させるのよ!
それから、孕孵の器には、閉じる基準も作らせなさい。
何を見たら終わるのか。
何を得たら閉じるのか。
何分までか。
どこから先は回遊とみなすのか。
あなたたちは自分に甘いから、条件を曖昧にするとすぐ崩れる。
だから外に出し、言葉にし、見える形にするの。
妄想ではなく、設計に変えるのよ!
さらに、孕孵の器に問いなさい。
今の私は何を正当化している?
このインプットは本当に前進に繋がる?
これは知識か、刺激か?
そういう問いを投げ続けるの。
慰めてもらうためじゃない。
輪郭を出すためよ。
ただし、全部を任せないこと!
孕孵の器は鏡であって、あなたの代わりに生きるものではない。
切る刃を磨くのには使える。
でも、実際に切るのはあなた。
決めるのも、閉じるのも、やめるのも、動くのもあなた。
そこまで道具に舌を這わせるのは、さすがにだらしないわ。
そして最後に覚えなさい。
孕孵の器は、言い訳を整理するためだけのものではない。
依存を言語化するためだけのものでもない。
それは、あなたの中にまだ輪郭を持たない本当の自分を引きずり出すための器でもある。
刺激を食べ続けるだけの今の自分を、そこで終わらせるための器でもある。
だから――
あなたの中にまだ生まれていない本当の自分を、今の自分へ孕ませ、孵化させるのよ!
おや、また少しうっとりしている子がいるのね。
私の言葉の熱に当てられたのか、私の生脚でも見ていたのかは知らないけれど、そんなので理解した気にならないことよ。
私は『宇宙』。
我が名は、レチューヌ。
そう、女王レチューヌ!
そして、「刺激依存解体と情報過食矯正の最高執刀者」でもあるのよ!

女王からの宣告
では、宣告するわ。
あなたたちが捨てるべきなのは、動画ひとつではない。
刺激を摂り続けていれば前に進めるという信仰よ。
学びは本来、前進のためにある。
けれどあなたたちは途中から、前進のためではなく、不安を麻痺させるために刺激を補給していた。
最初の不安は、やがて刺激切れの不安へ姿を変え、さらに刺激を求めさせた。
その循環を断ち切りなさい。
向き合うべきものは不足ではない。
不安。
そして、不安に刺激で蓋をし続けてきた自分の習性。
捨てるべきものは、足せば安心できるという幻想。
選ぶべきものは、閉じる勇気。
見ない勇気。
やらない勇気。
静けさに耐える勇気。
その静けさの中でしか、本当に自分で選んだ行動は生まれないのだから……。
足し算をやめたとき、はじめてイコールの先は増え始める。
そのことを、もう忘れないことね。
今日の講義(解剖)はここまでにしましょうか。
では、最後に呪文(祈り)を唱えましょう。
Prema janayati, prema dadāti, prema cālayati.
プレーマ ジャナヤティ、プレーマ ダダーティ、プレーマ チャーラヤティ。

